フリムンバード’s blog

石垣島暮らしの徒然を。

沖縄の民意‥





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いきなりですが、以下 脳科学茂木健一郎さんの本日のブログより。
愛情とは置き換えると距離感なんじゃないかなぁ‥と。   至極共感!

辺野古のこと。

2016/01/25 09:31
    沖縄の「モモト」という雑誌に連載していて、その第一回に、私はこんなことを書いた。

    「沖縄のことがわからなくなった。」
    沖縄にいけばいくほど、沖縄がこうだと言えなくなった。
    沖縄のことがわからなくなった時、少し沖縄のことがわかってきたような気がすると。

    今回の宜野湾市長選のことも、よくわからない。辺野古のことについて、なにも言えない。

    ひとつ思うことは、できるだけ、きれいな海を埋め立てたくはないな、ということ。よほどのこと、他にどうしても手段がない、ということがないかぎり。もう、十分に、人間は自然を破壊してきたから。

    基地移設が、その「よほどのこと」、「他にどうしても手段がない」ということに相当するのか、ぼくにはよくわからない。

    以下、その時のエッセイを引用する。


    「沖縄のことがわからなくなった。」
    (雑誌『モモト』掲載) 
     

     初めて沖縄に行くことができたのは、大学生の時。まぶしい太陽の下、蝶たちが舞う風景に包まれて、「やっと来れた」と思った。
     
     以来、沖縄が大好きになって、三十回も四十回も訪れている。本島で言えば、南部から北部まで、ほぼ回った。渡嘉敷島座間味島久米島宮古島石垣島西表島竹富島波照間島、久高島にも行った。

    沖縄の食べものが大好きになり、ソーキそばにコーレーグスをたっぷり入れて食べたり、泡盛を飲んで三線の音に耳を傾けるのが一番の心の贅沢となった。何よりも好きなのは「島らっきょう」で、出されるとたくさん食べてしまう。

    斎場御獄の様子に心を打たれて、沖縄を訪れる度に足を運んだ。自然のままの祈りの場に、高い精神文化を感じた。久高島の伊敷浜を歩いた時は、そこかしこにそっと置かれた白い石に、祈りを捧げる人の心を思った。

    コザのゲート通りを歩いて、米軍の兵士たちがたくさん集っている店の様子に、沖縄の現実を見た。普天間基地を見下ろす公園から、基地と住宅地が近接しているその状況を心に入れた。

    何度も沖縄を訪問しているうちに、自分の中に、沖縄のイメージが出来ていった。「沖縄通」とまで言うつもりはないけれども、沖縄のことが、だんだんわかって来ている、そんな風に思えてきていた。

    ある時、沖縄に来ていて、ふと、今まで会った沖縄の人たちのことを思い出した。学生さん、居酒屋で会った市会議員さん、民宿のおばさん、お店の人、芸人さん、琉球大学の先生、通りすがりの人。その、個性あふれる顔のさまざまを思い出していた。そうしたら、その一人ひとりの存在が、わっと自分に迫ってきて、突然、沖縄のことがわからなくなった。沖縄はこうだ、という一つのイメージが、作れなくなってしまったのである。

    旅行者というものは、訪れた土地について、ある印象を持つ。その印象が深まっていって、さらに「解像度」が上がってきた時、むしろ印象がばらけて、ユニークな個が見えてくるのだろう。

    今、私は、沖縄がわからない。さまざまな人がいる。いろいろな個性がある。沖縄を知る中で、ようやくそんな風景が見えてきた。一つの沖縄で、自分の経験をまとめることができない。逆に言えば、そこまで来れたということだろう。

    これからも、沖縄との縁を大切にしていきたい。           
    以上、茂木健一郎 オフィシャルブログより転載させて頂きました。
    m(__)m
    来島から12年。八重山も台風より物凄い力で風景が変わり続けている。いいとか悪いとかじゃなく。
    でもね、八重の島々にはいつでも唄と踊りという祈りの虹がかかっているのです。

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    忘れませんように‥。